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5月
有馬温泉でも内湯がなかった時代には、湯口はひとつで1箇所のみでした。
南向きを「一の湯」北向きを「二の湯」と分かれ宿が所属する方の湯槽に入るきまりがあったようです。
「二の湯」に属する「兵衛」は二の湯の真ん中にあって、二の湯の浴槽内の灯りを献じ、各旅館に泊まった湯治客は宿の幕を張り巡らせて入浴したということです。
宿は老若の湯女(かか湯女・小湯女)を抱えて混雑しないように整理したり、身の回りの世話をしたということです。
「兵衛」の小湯女の名前は代々「みや」と決まっていたようです。
「兵衛」は以前は「北の坊」といいましたが、いつのころからか「兵衛、兵衛」と呼ぶようになり、それ以来他の名前に変えることなく数百年の間続いてきたといいます。
それは太閤さんに「兵衛」と名付けられたという伝えがあるということから来ているということですね。
明治の時代には洋風建築になって「二の湯」の真ん中に位置していたようです。
そして有馬温泉には今でも街並みに木造の3階建てが残っていますが、有馬のほとんどの宿が江戸時代から3階建てだったということです。
文政10年の記録によると、有馬温泉の宿では下駄や草履の土足のままで3階までいけて、しかもすべて板間であったということです。
そして3階にもトイレもあったと記録されているということですね。
それで、当時では驚きの建物であったということです。
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